モテる男が気を遣っている留学

人民公社が解体したばかりの時期に、少数文化大革命後に再建された上座部仏教の寺院ならともかく、ラジオやテレビが普及した現代では、人びとの感受性までも、リズムである。
「沖縄には沖縄の時間を」という声が上がっても、不思議ではない。
世界でもっとも不思議な標準時は、中国の制度である。
地図で見る限り、東端の黒竜江省における日の出と、西端の新疆ウイグル自治区のそれとのあいだには、約四時間の差がある。
これだけの広大な地域に、単一の標準時を定めている国は、ほかにない。
その意味で、中国は世界に冠たる超大国である。
民族の農村を案内してもらった。
実際には、北京から二時間近い時差がある。
町で観る中央電視台(北京放送)のテレビ番組と、地域の暮らしのギャップは大きい。
ラジオでは中国の標準語を用いる北京放送より、共通の母語であるバンコクからのタイ語放送を聴く人が多いそうである。
シプソン・パンナーの近郊には、タイ人の集落が多い。
地域を限定すれば、彼らが多数民族である。
自由市場の雰囲気は、まるで北部タイ農村の朝市である。
バンコク時間が、タイ民族居住地域の自然の時間でもある。
しかし、行政上の時間は、北京の標準時であるため、地域の時計をタイ語の放送に合わせることはできない。
少数民族の使用するタイ文字の改革も進められていた。
[同じタイ語だから、タイ政府と協力して文字改革をおこなうほうが、地域文化の交流に有益ではないでしょうか」という私の質問に対して、中日友好協会から案内役に来て下さった耶さんは、「第二次世界大戦後に、中国と日本で協力して文字改革をしようと提案したのに、日本政府から賛同してもらえなかったのとよく似ていますね」と答えてニヤリと笑った。
ただし、日本のように厳しい国境管理はなく、少数民族のタイ人は旅券なしで国境をこえて、タイ国側の親戚を訪問することもできる。
石垣島にすむ台湾出身の住民が、親戚を訪問する困難さとは比較にならない。
同行したデリー大学中国学科のS教授は、ネパール国境の住民が旅券なしで国境をこえて親戚訪問できるのと同じです゛といっていた。
スリランカの首都、コロンボ市の人口は六一万人である。
隣接都市の人口を算入すると、ようやく1〇〇万人になる。
マモフやバンコクのようなアジアの巨大都市に比べ、規模の小さい首都である。
首都圏の工業化が進まない分だけ、都市化も深刻ではないが、水路や鉄道沿いの低湿地にスラムが発達した事情は、コロンボも例外ではない。
しかし、規模が小さいので対策が立てやすい。
政府機関や内外のNGOによって、不法占拠地の払い下げ、不良住宅の改良、公衆便所の整備、上水道の開設、排水路の改善などの事業がおこなわれている。
一九四〇年代から五〇年代にかけて農村から流入した都市細民の集住が、現在のスラム地域を形成したと考えられる。
俗語で「朝鮮人部落」というほどの意味である。
朝鮮戦争の戦火に追われた難民のイメージが都市細民の住むスラム地区のイメージと重なったようである。
この呼び名を初めて聞いたとき、いいようもなく悲しい思いがした。
朝鮮半島が悪し様にいわれることを他人事のように受け取れないからである。
韓国・朝鮮の人たちがシンハラ語を学び、コロンボを旅するようになる前に、ケラニー川の河口にできたスラム地区の改良が進み、ほかの住宅地と同じ居住条件が整備されることを願ってやまない。
一九九四年四月末に、スリラン力経済学会で報告するためコロンボを訪ねたとき、近年、韓国からの投資拡大が目覚ましく、コロンボ在留韓国人の人口が在留邦人の人口を追い抜いだと聞いた。
そのせいかいくつかのスラム地区では「コリヤーワ」の代わりに、「ソマリヤーワ」(アフリカのソマリアの難民からとった呼称)と、いい換えがすすんでいるそうである。
韓国・朝鮮人としても、このような呼称の転換を喜ぶわけにはゆかないであろう。
一九九一年コー月に、スラム地域改善事業を所管するS住宅開発局長に会った。
同氏は、P大統領の主要な選挙公約である、ジャナサヴヤ(人民の活力)と呼ばれる貧困撲滅計画を立案したことでも知られている。
現大統領が当選した一九八九年以降。
この貧困撲滅計画の実施担当の責任者として、ジャナサヴヤ局長を兼任している。
会議の席などで顔をあわせたことはあるが、親しく口を利くのは、今回が初めてである。
たいへんな雄弁家であった。
情熱的な話を聞いた東京医科歯科大学のK教授は、ホテルに戻るとすぐ「S語録」というメモを作りはじめたほどである。
イギリスのケンブリッジ大学で学んだSさんは、典型的なスリランカのエリート知識人であった。
帰国後、公務員上級職の採用試験に最優秀の成績で合格し、高級官僚への道を歩んだ。
しかし、英語を話す支配階級の行政では、地域住民大衆が抑圧されるばかりであることを実感した。
そして官職を捨てて、人民解放戦線(JVP)という農村青年中心の反政府運動に参加した。
一九七一年に、JVPの武装蜂起が鎮圧されると検挙され、国家に反逆した罪で服役していた。
プレマダーサ大統領が住宅担当相になった一九七七年に、再び高級官吏に登用され、いまでは主要な政策を立案するブレーンとなっている。
刑務所から出たあと、Sさんは背広やネクタイの着用をやめた。
会議では英語を極力避け、民衆の言葉で語ることにした。
知識人と付きあう機会があれば、常に西洋から直輸入した社会科学の限界を指摘している。
そのためかSさんによると、ジャナサヴヤ計画に対する世界銀行やIMFの勧告は、内政への支配介入ととれるほど厳しかった。
貧しい人に月額二五〇〇ルピー(約七五〇〇円)もの手当を支給する計画は、自助努力を妨げ、経済発展に逆行するというのでる。
日本のスリランカに対する経済協力を検討するために組織された研究会でも、貧しい人に現金をバラまくだけだという理由から、ジャナサヴヤ計画に好意的な発言は聞かれなかった。
私だけが、「試験的に特定の地域で協力してみたらどうか」という提案をおこなった。
しかし、提案した私も、本当に地域住民の自立に結びつくかどうか自信がなく、あまり強くは主張しなかった。
コロンボを離れる前夜、青年海外協力隊から派遣されてごフム改良事業に取り組んでいる島本護さんと保健婦の樋口まち子さんといっしょに、Sさんともう一度話し合った。
この計画の当否とは別に、貴族的な上流家庭の生活スタイルを捨てて貧困撲滅への夢を語るSさんの熱意に私は深く感動した。
一九九二年三月上旬に、東京の国際文化会館で、バングラデシュ開発研究所の経済学者であるRさんに会った。
朝食をいっしょにしながら、「カルカッタから飛ぶ航空機の窓から、バングラデシュの大地を観たとき、雨期の終わりだったせいがみずみずしい緑に強い印象を受けました。
インドの乾燥地農業の調査をしたあとだったので、ヒマラヤの水を集めたガンジス川とブラフマプトラ川が合流するバングラデシュの平原は、アジアでもっとも豊かな地域だと思いました」と話した。
彼は、「フングラデシュが豊かだ、という日本人に初めて会いました。
これまで日本ではなぜバングラデシュが貧しいのかどうしたら貧困から抜け出せるがという質問ばかり受けてきました」と、驚いた表情たった。

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